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という訳で少しだけ語ろうと思う

まぁ、そんなに語ることもない。とりあえず物理とかもやらないといけないので、簡潔に語ろうと思う。

まず私が思うに「くすぐり」はなぜここまで私たちフェチを魅了し続けるのだろうか?


聞く話によると、ジャンルとしては相当前に成立していたのかもしれない。
日本でも吉原の遊女など体に傷を付けられないような輩が何かやらかした時には水攻めなども勿論あったのだろうが一方でくすぐり責めもあったのだという。触手の浮世絵を書く日本だ、もしかしたらくすぐりの浮世絵も存在していたのやもしれない。
海外でどうだったのかは不明だ。一応拷問の手法としては使われることもあったらしいが、その頻度・及び方法の資料は我々の知るところではない。

ただどうも性癖としては日本よりだいぶ認知されているらしく、動画サイトでそういう動画を探しても海外産が多い。
無論日本人に対し世界人口が圧倒的に多いせいというのもあるのだが、それでも一ジャンルとして確立しているところもあるそうな。
個人的好みは海外<日本なので少々残念である。

まぁ歴史的背景は余り見えてこないのでこのあたりにしておこう。
それでは結局何が燃えるのだろうかということであるが……

まず世の中の人類には当然男と女が存在している。それを考慮すると、少なくとも責め・受けをどちらがやるのかということで四通りの解釈がある。
当然ながら、ホモカップル及びレズカップルも考慮している。

次に、攻め手及び受け手の年齢である。
例えば人類の平均年齢を七十歳で固定した場合、個々の性癖を完全に度外視すればある年齢n歳のAさんに対し零~七十歳まで、つまり七十一通りの選択肢が存在していることになる。
次にAさんの年齢を0≦n≦70とすれば、結局年齢的なシチュエーションとしては七十一の二乗通り、即ち5041通りの選択肢が生まれるのである。

驚くべきことにこの時点で20164通りのシチュエーションが既に生まれているのである。

次にくすぐりにおいてやっておくべきシチュエーションは性格による場合分けだろう。
当然である。強気の人が弱気の人を責める「ありがち」なパターンが好きな人も当然いるし、
私の様に弱気の人が強気の人を思いっきりいく、というギャップ萌えパターンが好きな人もいるだろう。

性格は人によっても千差万別、日本人口だけでも一億通りが存在するので、厳密に考えれば一億の二乗で十の十六乗にまで至ってしまう。更に世界人口で言えば七十億の二乗なので……いや、数の問題ではないが、5の19乗位にはなる。

しかしながらそれでは途方もない数になってしまうので、とりあえず

強気→サバサバ、オラオラ、ウェーイ
弱気→オドオド、ビクビク、コソコソ
ふつう

の七パターンに分類してみる。すると先ほどと同じ観点で行けばとりあえず49通りある。
これを先ほどの二万通りに掛ければ一気に百万近いパターンが……

……と、数値で考えてみるとこのように膨大な数に膨れ上がってしまうし、これらの性格とかはぶっちゃけ他ジャンルでも当てはまるだろう。

それではいったい何が私たちを魅了するのか。
ここからは私見となる。


恐らくくすぐりとは、前に書いた通り常人にとっては子供や動物たちのじゃれ合いと言った風景を思い出すであろう単語である。
もしくすぐり、という単語でアダルティーな意味を推測した人が居たならば、恐らくその人は私と同業であろう。

つまるところ、くすぐりとは子供の遊びのようなものという固定概念が我々の深層心理のどこかには確かに存在しているのであるのだ。
勿論、我々のようなフェチが考える構図は子供の遊びとは確かにかけ離れている。私の大好きなシチュエーションで考えてみよう。

ただの子供たちもやるような遊びで、
妙齢の成人女性がシチュエーション次第では例え小さな子供やずっと年下の少年・少女相手であっても何も出来ず悶え笑い狂い、
その胸を情けなくブルンブルンと震わせ、体中からはかきたくない汗が沢山出てくる。
くすぐったさと快感は紙一重という話もあるので、あるいは背徳感から愛液もダラダラと流れて来るやもしれない。どちらにせよ、相当な羞恥プレイである。
更に極め付けとして、場合によっては恥も見聞もプライドもなく、自分よりずっと年下の少年・少女の見下すような目線を浴びながらも自分が成熟している証である陰毛の中に隠れたクレバスからあたかも赤ん坊のように尿をまき散らしてしまう。

このようなことが果たして「子供の遊び」として有り得るのだろうか?

ここで一般的な子供たちのやる遊びを想像してみよう。
鬼ごっこ。かくれんぼ。缶けり。ドッジボール。ゲーム。スマホ。

……確かにAVでありがちな「大人の」とか「夜の」とかそういう形容詞が付けば話は別だ。
大人の缶蹴りとでも題して、見つかった女が罰ゲームで缶を挿入するAVとかもありそうである。
あるいは缶を金に直せばドM君歓喜の作品になる。

が、我々が一般的に想起するこれらの遊びにそういう観念はない(はずである)。

ところがくすぐりは、そうした形容詞も無くしてそのような非日常的興奮を我々に伝えているのである。

そこでもう一つ例を上げよう。
かの有名な、テレビでもしょっちゅう放送される渋谷のスクランブル交差点。
あそこにある巨大電光スクリーンの中でサッカー中継がやっていても特に何も感じることはないだろう。
いや勿論そういうフェチの方も居るかもしれないので100%の断言は出来ないが、98.99%位は「ふーん」もしくは「頑張れ○○!」という心境になっていることは最早自明ですらあろう。

ところが、仮にバラエティ番組の罰ゲームの一環などでくすぐりの動画が放映されていたらどうか。
勿論、「ふーん」という感想や「あーあ、こいつらまたやってらぁ」みたいな感想を抱く方も少なくはないだろう。あるいはバラエティ番組なので面白がって見ている人もいるかもしれない。

しかしながら、その瞬間その場に居る少なからず存在しているであろうくすぐりフェチの方は、
少なくとも思いっきりパンツの下にテントを張るか、もしくはクロッチを愛液で濡らすことになるのである。勿論賢者モードであったり仕事で忙しい中であればその限りでもないと言えばないが。
とはいえこのようなことが起こるのは、はっきり言って「子供の遊び」という一般的見識とはかなりかけ離れているのではないだろうか。

ところが、これ程にも拘らず我々の認識として少なからず「子供の遊び」という認識は抜けていない。これもまた事実である。

ともすれば、我々は「少なくともくすぐられる側は子供の遊びと思っているのだが、その子供の遊びに思い切り恥も見聞も忘れ笑い悶えまくらされている」という構図にも興奮を覚える材料の一つを見出しているのではないだろうか。


そろそろ電車が自宅の最寄り駅に到着するので纏めておこう。

要するにくすぐりとはギャップの塊なのである。それ故、特にギャップ萌えが好物な人間にとっては燃えるものがあるのだ。

無論、否定する意見もあるだろうが今のところの私の結論である。
もう少し時間があれば更に多角的に考察しつつ自論の矛盾点も解決していきたいが、到着したのでこの辺にしておく。
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